消費者金融(サラ金)の歴史を振り返る

消費者金融(サラ金)の歴史を振り返る
サラ金とは、サラリーマン金融の略で、消費者金融などの貸金業を行う業者のことを指します。

この貸金業は日本ではいつから行われているのでしょう?

今回は貸金業の歴史について触れてみたいと思います。

 

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1.消費者金融(サラ金)の誕生

第二次世界大戦が終結した1945年、質屋と言う形で金融業は行われていました。

質屋では、本格的な貸金業を行っていたわけではありませんでしたが、価値のあるものを担保として質に入れてもらい、その担保をもとにお金を貸しつけるというスタイルをとっていたのです。

期限までにお金を返済出来ない場合は、担保として預けていた品物をもって弁済とする仕組みでした。

今の担保付きのローンと似ていますね。

この質屋の行っていたスタイルが、今の貸金業の始まりだと言われています。

しかし戦後日本は急激に経済発展したため、国民の所得は増えていきます。すると物に対する価値も下がり、質屋は存続危機となっていってしまったのです。

その後1960年、誕生したのが消費者金融(サラ金)です。

この時、初めて無担保無保証の融資が行われることとなりました。物を担保とするのではなく、「信用」を担保と考える新しい形態が生まれたのです。

担保が必要ないということで利用者も急激に増加し、それに比例して消費者金融業者(サラ金)もどんどん設立され、発展していきました。

1960年 アコム誕生
1962年 プロミス誕生
1967年 アイフル誕生

など、今でも有名な消費者金融も、この頃に創業されています。

1969年には、大阪の11社が集結し、日本消費者金融協会(JCFA)が設立されました。これは、今後の貸金業の発展を目指して作られたと言われています。

しかし、消費者金融(サラ金)が発展していくのと比例して、支払いが困難になっていった利用者も増加の傾向にあったのです。

これは、消費者金融(サラ金)が個人の返済能力に対する審査も甘いまま、無担保で高金利高額融資をどんどん行ったためだと考えられています。

そこで、借り手の返済能力を判断する基準として、貸金業者同士で個人の信用情報を共有し、回収を確実に行っていこうという目的で、1972年には、信用情報機関の株式会社レンダースエクスチェンジが誕生しました。

日本で初めての信用情報機関です。

こうして、現在とほぼ変わらない形態の、消費者金融(サラ金)としての貸金業が始まったのです。

 

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2.貸金業の競争(1975年~1983年)

1975年頃から、徐々に高まってきた消費者金融(サラ金)の勢力に合わせて、今度は外資系や信販会社、銀行系カード会社なども消費者金融(サラ金)と同じ貸金業に参戦するようになってきます。

特に外資系は10社以上参入し、話題となりました。

ここで一気に競争は激化していきます。

というのも、新しく参戦してきた外資系は、これまで行ってきた消費者金融(サラ金)での金利よりもずっと低い金利での貸し付けを行い始めたからです。

これまでの消費者金融(サラ金)では、年91.25%~102.2%という高い金利での貸付でした。多少高金利でも、貸金業としては普通であったため、利用者も躊躇うことなくお金を借りていたのです。

消費者金融同士の競争はあったものの、この範囲内での金利でしたので、それほど大きな対立はなかったのですが、参戦してきた外資系はなんとそれまでよりずっと低い48%を提示してきたのです。

利用者は当然金利は低い方がいいと考えるでしょう。その為、顧客はどんどん外資系の貸金業者へ流れだします。

そこで1982年には、この様な低金利に対抗し、消費者金融(サラ金)でも41.957%~49.932%での貸しつけを行い始めました。

このようにして、外資系が参入し始めた1977年頃から、貸金業者の間では、様々な対策をしながら顧客獲得競争が激化していったのです。

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3.貸金業の低迷(1983年~1986年)

1983年、出資法の改定が行われ、上限金利109.5%だったものが、73%まで引き下げられてしまいました。(その後も改正が行われ、今現在は20%となっています)

この法の改正の影響も受け、1986年頃、外資系はどんどん貸金業から撤退していきます。アメリカスタイルでの審査方法が日本には合わず、さらに利益もそれほど得られなかったことが理由だと言われています。

外資系が撤退することで顧客獲得競争は落ち着くように見えましたが、実際には新規顧客獲得のための対立が激しくなった中で、悪質業者も増えていたのです。その悪質業者により、貸金業界は落ち着きは得られませんでした。

悪質業者は今で言う闇金業者ですね。

当時の悪質業者は“高金利”でかつ“過剰な貸し付け”、その後の“過酷な取り立て”を総称して“3K”と呼ばれていました。

この悪質貸金業者の3Kは、一種の社会問題ともなり、このことから、消費者金融(サラ金)のイメージが悪くなっていってしまったのです。

一部メディアでは、消費者金融(サラ金)を批判的に報じるなどし、悪質ではない消費者金融(サラ金)もイメージ低下に苦しめられることとなっていきます。

イメージ低下のため顧客獲得が難しくなり、さらに出資法で上限金利も下げられたことで、利益を十分に得られない消費者金融(サラ金)はどんどん倒産していきます。

4.貸金業の再生(1986年~1992年)

出資法改定前には約23万件だった貸金業者も、倒産、廃業が続き、翌年の1984年の段階で約3万件にまで激減してしまいました。しかし、どんなにイメージが悪くなっても、貸金業を利用したい顧客がいなくなることはありません。

そこで、生き残りをかけて、買収・合併などを行い、消費者金融(サラ金)としての経営を立ち直らせていったのです。

そのかいあって、1988年頃には生き残った企業は拡大し勢力を上げ、業績も徐々に回復させ、貸し金業としての再生に成功したのです。

また、イメージ改善のため、「サラ金」という名称を「消費者金融」と改め、普及に努めました。

キャッシングと言う言葉もこの頃生まれたと言われています。「借金をする」と言う暗いイメージを改善させるために、「一時的に立て替える」という前向きな言葉へと変換させたのです。

キャッシングと言うと、とてもポップな雰囲気が感じられますね。これにより、若者や女性も利用しやすいものとなっていきました。

5.貸金業の現在(1993年~現在)

1993年、日本で初めての自動契約機が導入されました。今では無人の自動契約機はどこの消費者金融でも目にする事が多いものですが、この頃初めて設置された自動契約機は日本初ということで注目を浴びたのです。

1995年頃からは、他の消費者金融でも自動契約機の導入を開始し、やっと悪いイメージを拭い始めた消費者金融はCMにも登場していくこととなるのです。

これにより、若者や女性の利用客も増加傾向になっていったのです。

提携ATMなども増え、利用もしやすくなり、イメージも改善されたことで、利用者は1000万人を超えていきました。

業績はどんどん上り傾向にあり、1993年にはアコム・プロミスが上場企業となり、1996年にはアイフルも上場企業入りしました。

また、2004年、アコムは三菱東京フィナンシャルグループ、SMBCコンシューマーファイナンス(プロミス)は三井住友フィナンシャルグループのメガバンクと業務提携を行い、経営も安定させることに成功しました。

他の消費者金融も銀行の傘下に入ることで経営の安定をはかっています。

しかし、利用しやすい消費者金融のキャッシングと言うことで人気は集めたものの、自己破産などの債務整理を行う方も続々と増えていったのです。そこで、2010年、貸金業法が改正され、施行されることとなりました。

これにより、収入の3分の1までしか借り入れ出来ないという総量規制などの法律が定められたのです。

この規制は消費者金融側や、高額融資を希望する方にとっては迷惑なものとなってしまいましたが、これにより返済能力のない方への高額融資が行われなくなり、債務整理を行う人数を減らすことに成功しました。

法律で守られることで、消費者金融はより利用しやすく安心できる会社となっていったのです。

貸金業の始まった時代を知らない方々にとっては、サラ金と言うとあまりいいイメージを抱かない方が多いものですが、今ではCMにも有名な女優やモデル、お笑い芸人などもどんどん起用され、消費者金融は明るく身近なイメージに変わりつつあります。

あちこちに提携ATMも設置されているので、預金口座から出金するような感覚で抵抗なく利用している方も多いかもしれませんね。

違法業者を選ばなければ、間違った取り立ても、必要以上の高金利を要求されることもないので、安心です。

様々な苦悩を潜り抜け、消費者金融(サラ金)はやっと、私たちにとって身近で安心できる存在となったのです。

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